脱!英語バカ。〜英語を通して子どもたちに届けたい2つのこと(1)〜 interviewed by Kaori Toda

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海外渡航経験なし、TOEIC200点台「よし、アメリカに行こう」

英語教室の代表を務める今では想像もできませんが、「勉強が大の苦手だった」という木場真一さん。

中学校から大学時代、全国大会に出場するまでテニスに打ち込んだスポーツ少年は、大学を卒業後、コンピューター関連のソフトウェアの会社に就職し、営業職として活躍します。

仲間と全国大会を目指す毎日は、本当に良い思い出です。

入社して1年、仕事にも少しずつ慣れてきた頃、ふと10年後をイメージし、「このまま何となく経験を積み重ねるだけで成長できるんだろうか」と漠然とした不安感を覚えます。

せっかく人生を懸けて挑む仕事のため、もっと成長するために勉強したいと考えはじめます。

そして23歳の木場さんが出した答えは、「よし、アメリカに行こう」。

しかし、どうせやるなら高いレベルで学ぼうと決意します。

寝る間も惜しんで向かう先には大きな夢!

決めたら即行動がモットーの木場さん。

1年後に留学すると決めるや、会社勤めをしながら、週3〜4回英会話に通いはじめます。

厳しいスクールを選んだので、最初はレッスン中、まわりの会話についていくのも大変でしたし、宿題もたっぷり。

それでもへこたれなかったのは、その先にある留学という夢に向かっていたから。

もちろん仕事にも支障があってはいけないと、残業せずに済むよう、毎朝誰よりも早く出社して、仕事も抜かりなく。

「この時点ではまだ、どこの州に住んで、どの大学へ行き、将来どんな仕事に就いて、なんて具体的な計画はありませんでした。それでもアメリカに行きたいという気持ちだけは揺らがず、日々の大変さも苦痛ではなく、むしろ楽しんでいました」と朗らかに振り返ります。

そして1年後、会社を退社し、宣言通り、アメリカへ。

福岡空港から飛び立つ時の写真

アメリカでの第一歩は、違うものを受け入れること。

9ヶ月間は語学学校で学び、その後の1年間は大学に通うつもりでいましたが、現地で知り合った友人の薦めもあり、シティユニバーシティ オブ シアトルの大学院に進学。

日本で学んだ経営学をより高いレベルで学ぶことにしました。1クラスは20〜30人、学生たちはトルコ、タイ、シリア、インドとさまざまな国や地域から来ていました。

年代も日本とは違い、20〜50代と幅広かったそうです。

授業は、母語が英語の人たちを前提として進むので、スピードは早く、テキストや授業の内容を理解するだけでも大変な日々でした。

授業は週に3〜4日、1日3時間でしたが、3カ月を1タームとして、論文の作成やプレゼン準備に追われるハードな毎日。

講義やグループワークを通して、企業のブランドマーケティングなどを研究しましたが、専攻していた経営学と英語以外にも大きな学びがあったと木場さんは言います。

ホームシックやノイローゼ・・・正直苦痛でした。

ホームシックやノイローゼ・・・正直苦痛でした。

「クラスメイトなのに、国も年代も考え方も違う人が集まっていて共通点や共感がないのです。今まで自分が当たり前と思っていた先入観は打ち砕かれました。それをストレスと思わず、違うものを認める姿勢ができるまでには少し時間がかかりました」と振り返ります。

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